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誕生!株式会社SUBARU 新社名で何が変わる?

2017年4月14日

4月1日に、富士重工業株式会社から「株式会社SUBARU」に変更されたのは皆さんもご存知の通り。社名の変更により何が変わっていくのか?企業として目指すものとは?今回は社名変更に伴い、変わっていくものをご紹介しよう。

まず、おさらいとして、富士重工業はどんな会社だったのか?富士重工業のルーツは、1917年(大正6年)に中島知久平によって設立された飛行機研究所がその原点。飛行機研究所は日本飛行機製作所、中島飛行機製作所と名前を変え、1931年(昭和6年)に中島飛行機株式会社となった。終戦後、中島飛行機グループの企業を再統合する形で1953年に富士重工業株式会社を設立したのが富士重工のはじまりだ。

 

「スバル」がブランドとして登場したのは、1954年の試作車両のP-1に名付けられた“すばる・1500”がはじまり。ちなみにこのP-1は直列4気筒の後輪駆動車で、はじめてスバルのなを冠したモデルはBRZと同じFR車だったことは意外と知られていない。
スバルの名前をブランドとして用いた理由は、1953年に東京富士産業、富士自動車工業、富士工業、宇都宮車輛、大宮冨士工業のグループ5社が富士重工業という会社を設立したから。5つの企業を統一する(統べる(すべる))という意味が込められている。そして、この5つの企業が一つになったことを表すのが皆さんのBRZにも装着されている 「六連星」(むつらぼし)のマークだ。 その後「スバル」は、数多くの名車を生み出し、富士重工業の自動車ブランドとして確立してきたのだ。

富士重工業は自動車の生産だけでなく、航空機の生産もおこなっており、防衛省向け航空機の製造・開発及び定期整備やボーイング社向け分担生産を中心とし、その他 海上保安庁、消防・警察向けのヘリコプターの生産・整備などを今でもおこなっている。

他にも、「ロビン」ブランドでお馴染みの小型汎用エンジンの開発・生産していた産業機器部門、バス車体架装事業、鉄道車両事業、風力発電機をはじめ塵芥収集車などの開発をおこなってきた環境技術部門、小型のプレハブ住宅を製造する住宅事業部門など様々な事業を展開してきた。

このうち産業機器部門は、昨年の10月1日より自動車部門へ統合。これにより現在のSUBARUはクルマと航空機という2つの柱となっているが、産業機器部門は人員を自動車部門へ配置転換したうえで、一部事業資産や米国販社などをヤマハ発動機へ譲渡。今年の9月30日で事業を終息することが決定している。これにより、自動車部門と航空宇宙部門の2つが大きな柱となり、SUBARUを支えていく。

会社名の変更では、ブランド名としてSUBARUを使用していたこともあり、本社や事業所の看板、従業員の名刺などの印刷物を新しくするといった事がほとんどだが、富士重工業の社歌には歌詞内に「富士重工~富士重工~」と連呼するパートが存在した。新しい社歌は、この部分を「わがスバル~わがスバル~」と置き換える事で、従業員から寄せられた、「たくさんの人に強い思い入れがあり、変えないでほしい!」というご意見を取り入れ、曲は変えず、歌詞の一部を変更して生まれ変わらせた。

社歌のほかにも、社名変更を機に2017年4月1日より用いられているのが新しい社章。SUBARUのブランドカラーであるブルーをあしらった七宝焼きのもので、社名変更記念式典に出席した吉永社長によれば「みんなで力を合わせてSUBARUという星団を築き上げていこう。SUBARUグループの会社もみんないっしょになって、SUBARUという星団をもっともっと魅力的にしていこう。グループ全員で、SUBARUにいる全員でやろう。そういう思いを込めて、『グループ章』としました」と語った。

そして、社名変更で掲げられたキャッチフレーズ。「モノをつくる会社から、笑顔をつくる会社へ」これが社名変更を機に最も大きく変わったものといえるのではないだろうか。吉永社長は繰り返し「社名変更は決意表明」と述べていたが、このキャッチフレーズがまさに強い決意表明といえる。

中島飛行機時代から続く100年という長い歴史のなかで、実直なモノづくりを続けてきた富士重工。「株式会社SUBARU」として、新しいブランドの価値を強め、多くのユーザーへさらなる「安心と愉しさ」を提供していくだろう。

(井元 貴幸)